細腕・太腕 繁盛記

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(幟博物館)宇治川の先陣争い

武者幟の絵柄は地域によって様々ですが有名な武将や合戦がテーマになっています。
武者幟は型染めです。型紙はそれぞれの染物工場(染物職人)により違います。
同じ合戦を描いた幟でも描かれている武将の顔やデザイン、登場人物は違っています。

宇治川の先陣争い
佐々木四郎高綱、梶原景季、畠山重忠

旭将軍と言われた木曽義仲が、勢いにのって遂に後白河法皇を閉じ込めるまでに至りました。そこで法皇は源頼朝に義仲を討つように命じました。頼朝は二人の弟、範頼と義経に命じ六万の兵をもって宇治に向かいました。
 義仲は勢田と宇治の二つの橋を落し、岸には柵を巡らせ水中には杭を打ったり、網を張るなど防戦の準備をしました。義経はこの様子を見て『この度の合戦に手柄をたてた者の名前を書き留めよう。またあっぱれ宇治川を渡る者があれば、敵に射さすな』と命令しました。
 この時、早や宇治川に馬を躍らせて先陣を競う梶原景季と、佐々木高綱がおりました。二人は頼朝の愛馬を貰い受けて出陣しました。景季は『磨墨』(するすみ)、高綱は『池月』(いけづき)という優れた馬でした。高綱はこの合戦に是非とも名を挙げねばならぬ、どうかして勝ちたいと考えました。そこで高綱は『梶原殿、馬の腹帯が緩んでいるようだ』と言ったので、謀られたとは知らず景季は腹帯を引締めている間に、高綱は追い越して対岸に跳びあがり『佐々木四郎高綱、宇治川の先陣仕まつった』と名乗りを挙げました。このあと畠山重忠は馬を背にからい、いつもお前にはお世話になるからと言って渡り、ほかに和田・江崎・数十名の先陣争いの場です。
pic34.jpg

端午の節句(5月5日)まで。
日本の伝統的風習。「武者のぼり」について、このブログで紹介しています。
「武者のぼり」の歴史は古く、鎌倉時代の武士の旗さしものの幟を起源とし
江戸中期頃、初めは武家社会の間で端午の節句頃になると武将の姿を描いて
庭先に飾りました。後に一般大衆化しました。

地域によって選ばれる絵柄は様々ですが、威風堂々、勇壮たる合戦絵巻に強く、
たくましく「育ってほしい」との願いを込めて古代より好まれる有名な武将や
合戦がテーマになっています。
色彩鮮やかにたなびく様は、鯉のぼりとは別の趣きがあります。

武者絵のぼり豆知識



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